創世記43章1〜34節
「ユダの身代わり」
ヨセフの目の前に、食料を買いに来た兄たちがひれ伏している。2度目の今回は、約束通りベニヤミンを伴っている。ヨセフはベニヤミンを見ると、「弟なつかしさに胸が熱くなり」別室で泣いた(30)。しかしまだ、自分の正体を明かす訳にはいかない。ヨセフは、兄たちに誠実があるかどうかを試しているのである(42:16)。
他方、父ヤコブはベニヤミンをエジプトに行かせることにためらっていた。前回、濡れ衣を着せられてシメオンが捕らえられたことも不安の要因になっていた。しかしユダが、「私自身が彼の保証人になる」と自分を犠牲にして訴えたので、その言葉に心を動かされたのだ。ユダは我が子を二人、失っていた。その悲しみは、経験した者同士、言葉を交わさなくとも通じ合うのだろう。ユダの言葉で、ヤコブは「私も失う時には失うのだ」(14)と苦渋の決断をした。ヤコブは絞りだすように、「全能なる神!」(14)と神様の名前を呼んで祈った。とても神様に委ねる信仰の境地ではないが、ここに生きた信仰者の姿を見る。親心や弱さが入り混じった信仰であるが、必死で信頼する者を神様は見捨てることはない。
ここではユダの身代わりが光っている。ユダは二人の息子を失った時、嫁のタマルに全責任を負わせた。しかしタマルの一件でユダは自分にこそ罪があると悟る。そこからユダは父に犯した罪を自覚し、心を傷めていたのだろう。ユダの悔い改めは、もう二度と父を悲しませないという決意になった。このように神様はユダを整え、和解のためにお用いになったのである。
「私自身が彼の保証人となります。」(14)