創世記50章1〜26節
「ヨセフの計らい」
ヤコブは147歳で天に引き上げられた。ヨセフは父の顔にとりすがって泣いた。そして遺言の通り、ヤコブをカナンにある先祖たちの墓に埋葬する準備に取りかかる。ヤコブが願ったのは「先祖の墓に葬られる」という一点であったが、思いがけずヨセフの故に国葬級の荘厳な式となった。
兄たちは再び疑いと恐れに囚われていた。父が亡くなった今こそ、ヨセフが復讐するかもしれないと思ったのである。兄たちはヨセフに言付けして「兄たちを赦してやれと父が語っていた」と伝えた。本当にヤコブがそう言ったのか、兄たちの創作かはわからない。どちらにせよ、ヨセフの心は揺るがなかった。兄たちを完全に赦していたのである。
ヨセフは語った。「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。」(20)何という赦しの言葉だろうか。ヨセフ自身、神様のなさった「良いことのための計らい」に感謝して生きていた。その恵みを無視して、兄たちに復讐することはできなかった。
これまで、兄たちだけでなく、父ヤコブも叔父のラバンも、祖父母のイサクとリベカも悪の計らいをしてきた。誰かが計った悪意ある計画で人生を破壊されてきた。苦しんでその実を刈り取ってきた。しかし神様の恵み深いご計画は、そのような人間の罪の現実を突き抜けて、必ず実現するのである。神様の恵みは罪の歴史に勝る。罪を悔い改めるだけでなく、神様が「良いための計らい」をしてくださると信じよう。
「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。」(20)