士師記12章1〜12節
「シボレテの悲劇」
ヨルダン川の東側、ギルアデという地域にエフタという人がいた。彼は遊女の子であるという理由で故郷を追われた。ところがギルアデにアモン人が侵攻した時、人々はエフタをリーダーにした。エフタは主の霊によって勝利した。
その後、同胞のエフライム人が攻めてきた。「戦いに誘わなかったから、あなたたちを火で焼く」と言う。ひどい言いがかりである。エフタはエフライム人を駆逐し、執拗に仕返しをした。ヨルダン川沿いに検問所を設け、発音の癖を使ってエフライム人を見つけたのである。川を渡る人たちに「シボレテ」(川の流れの意味)と言わせて、「スィボレテ」と発音する者をエフライム人として殺した。
エフライム人の言いがかりもひどいが、エフタの仕返しもやり過ぎだった。彼らはお互いに、神様に従い・人を愛することから離れてしまっていた。神様に従う信仰が弱まる時、人は自分の心のほしいままに振る舞うものである。
主イエスは、十字架でご自分を犠牲として死なれた。これにより「敵意を廃棄された」。この十字架を前にする時、私たちは相手を責める言葉を失う。自分の仕返しが正当であるという確信が崩れる。なぜなら、罪のない主イエスが私の罪を背負っただけでなく、私に敵対している人の罪をも背負って十字架で死なれたからである。十字架を前にして、人を責めることはできない。むしろお互いが主イエスに悔い改め、ともに神様に従う道へ招かれるのである。
「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」(エペソ2:14、15)