民数記3章1〜16節
「モーセとアロンの家系」
イスラエルの中で、レビ人は他の男性たちとは違い、牧畜や兵役などの義務を免除され、幕屋で礼拝だけに従事するように定められた。この役目はレビ部族の男子たちだけが担うように神様に命じられ、他の部族の者たちは担うことができなかった。
これからイスラエルの民は荒野を旅していく。その過程では、周辺に滞在する諸民族・国家と戦わなければならない。戦力として登録されたのは20歳以上の男性であり、その数は603,550人であった(2:32)。しかし、この中にレビ人は含まれていない。人間的に考えれば、戦力は多いほど有利である。レビ人を戦力として数えないのは、人間の数を当てにするのではなく、神様ご自身に信頼するという姿勢の表れである。
神様はイスラエルの民をお選びになり、救いをお与えになった。直接的なきっかけとなったのは、一夜のうちにエジプト中のすべての初子が死ぬという神の審判がエジプトにくだされたことであった。その夜、イスラエルの家々は小羊を殺してその血を扉の鴨居と門柱に塗って災いを免れた。これは、小羊が初子の身代わりに犠牲になったことで助かったことを意味する。これによって、神ご自身が命と死の権威を持っておられることがエジプト国中の人々に示された。
小羊の犠牲によって初子が助かったことを忘れずにいるために、神様は初子を神様のものとして定められた(出エジ13:2)。この言葉の通りならば、ルベン族やユダ族などのすべての部族から第一子長男を集めて組織し、その者たちが幕屋の奉仕をすることになるところだった。しかし神様は、“初子の代わりにレビ人を取る”と言われ(12)、ここからレビ人が幕屋で仕える専属奉仕者に任命されたのである。
レビ人を聖別することは、“私たちのすべてをささげて神様に感謝します”という意味である。これは今、1/10献金として引き継がれている。すべての人に対して命と死の権威を持つお方が、自分たちを守ると約束してくださった。その恵みに感謝して、自分たちのすべてをささげる意味でささげものをするのである。
「初子はすべてわたしのものだからである。」(13)