民数記36章1〜13節
「主がくださる相続地」
マナセ族ツェロフハデの娘たちは、相続地を受け継いだ。しかし彼女たちが別の部族にとついだら、相続地が減ってしまう。モーセはただちに対応して、同じ部族同士で結婚して相続地を守るように命じた。これは、各部族が互いに陣取り合戦をしないようにするための知恵であった。
聖書では、約束の地カナンを「相続地」と言う。「相続地」という言葉は比喩的な意味でも使われており、神様からいただいたもの、神様のお計らいなども含まれる。
詩篇16:6「測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地(=相続地)だ。」ダビデは、サウル王から疑いの目で見られ、逃避行を余儀なくされた。いつ終わるかわからない、逃げるしかない生活を強いられながら、ダビデは神様をほめたたえる。神様のご計画は「私の好む所」「すばらしいゆずりの地」であって、神様は素晴らしいことをしてくださるに違いないと言うのである。
伝道者の書3:11に「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」とある。私たちは、神様のお計らいを喜べるだろうか。私たちは何かにつけて、早いとか遅いとか言いたくなる。しかし人間の判断を超えたところで、私たちは神様のご計画の中に生かされている。私のすべて、罪も怒りも不信仰も含めた私という存在を、神様は肯定して受け入れてくださっている。こうして私は、神様の時の中に生かされている。そのように受け入れてくださっている神様ご自身こそ、「私への、すばらしいゆずりの地(相続地)」なのである。
「測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。」(詩篇16:6)