民数記8章1〜26節
「主にささげられたレビ人」
神様はレビ族の男に幕屋で仕えるように命じた。他の部族の男たちは兵士として登録されたが、レビ人は専属で幕屋の移動と管理、いけにえの準備などを行い、人々が神様と正しい関係を持ち続けるために献身した。
レビ人の働きは人々を「贖う」ことである(19)。「贖う」は「覆う、覆い隠す」という意味を持つ。罪深い自分を恥じつつ神様の御前に来る人々を、神様のあわれみで覆い包むのがレビ人の使命である。神様は砕かれた魂を喜ばれる。傷つき疲れた者に御顔を向け、恵みと平安を与えて包んでくださる(民6:24〜26)。「神様、こんな罪人の私をあわれんでください」と祈る取税人を、神様は義と認められた(ルカ18)。神様があわれみ深いお方でいてくださることが、私たちの生きる力である。
レビ人はきよめの儀式を通して、イスラエル人の「奉献物」としてささげられた。「奉献物」(11)とは、一度は神様にささげ、それをいただくことを意味する。これによってレビ人は、“神様からいただいたもの”となった。自分たちのものとして扱うことは慎まなければならない。
私たちは時間や健康、家族などを神様からいただいている。しかし、それらを自分のものと勘違いする時、神様のあわれみに期待することが虚しくなってしまう。もう一度神様におささげして、改めて神様からのものとして受け取り直す。それが神様のあわれみを力として生きる第一歩になる。
「わたしはイスラエル人のうちからレビ人をアロンとその子らに正式にあてがい、会見の天幕でイスラエル人の奉仕をし、イスラエル人のために贖いをするようにした。」(19)