民数記1:1〜54
「イスラエルの人口調査」
神様の命令により、イスラエルの20歳以上の男子は兵役につくために数えられた。私たちも、神様の民の一員として数えられている。オリンピックに出場した者たちがオリンピアンとしての栄誉をもっているように、神の民として数えられた者には揺るがない栄誉が与えられている。神様の恵みによって、「いのちの書」に自分の名が記され(黙示録3:5)、天の御国に入る一人として数えられている。
この名誉は、この世で成功することとは別物である。この世には、主イエスを信じる人たちよりも成功している人、幸せそうな人がいる。もし私たちが世の中での成功や幸せを追い求めるならば、神様を信じる価値を見失う。主イエスは「ただあなたがたの名が天で書き記されていることを喜びなさい」と言われた(ルカ10:20)。私たちは神様の民の一人として数えられている名誉を喜んでいるだろうか。
レビ族は、兵士の数の中に数えられなかった。彼らは専属で幕屋の務めをするように、神様に命じられたからである。人間の常識なら、非常時に兵士は一人でも多いほうがいい。しかしイスラエルの民は、神様のことばに従った。兵士の数が多いことよりも、神様に従うことを優先させたのである。
神様に従うことを優先させる。これは、信仰者が避けることのできない戦いである。礼拝のための時間、月ごとにささげる献金など、“自分のために使いたい”という衝動にかられることがある。しかし、これを神様にささげるところに、「国籍は天にある」者とされた応答がある(ピリピ3:20)。
「レビ人はあかしの幕屋の任務を果たさなければならない。」(53)