民数記10章33〜36節
「主の雲が先に進む」
イスラエルの民は主の山を出発し、3日の道のりを進んだ。先頭は主の雲である。主の雲が留まるとそこに幕屋を立て、人々は幕屋を取り囲むように宿営した。主の雲が動き出すとラッパが吹き鳴らされ、全員が出発の用意をする。そして東側に位置する人々から順に旅立ち、主の雲についていく。このように主の雲が先に進みながら、イスラエルの民は荒野を旅した。
その旅の様子はどんなものであったのか、想像してみると興味深い。ある時には、不便で危険な場所なのに主の雲が一向に動く気配がなく、“こんなところから早く移動したい”と思うこともあっただろう。その反対に、“ずっとここにいたい”と思うような快適な土地なのに、すぐに主の雲が動いてしまい、泣く泣く従ったこともあったのではないか。
このように考えてみると、私たちの生活との共通点が見えてくる。それは“自分で思うようにできないことに囲まれて生きている”ということである。時間も経済も健康も、自分で自由に使えるものは少ないのではないか。時代も社会も変化し続けている。以前はユーチューバーという職業はなかった。10年後にあるかどうかもわからない。私たちはそういう先の見えない世界に足を踏み出し、旅をするように生きている。
神は私たちが生きるのを助けてくださる。神はそれぞれに寄り添い、その人生を共に生きてくださる。私たちが人生で経験する成功も失敗も、良い出会いも良くない出会いも、神は知っていてくださる。困った時には神に助けを求めることができる。良い時には神に感謝して喜びを分かち合う。自分には解決できないことも、最善を信じて神にゆだねることができる。
そして神は教会を与えてくださった。教会は普通の人たちの集まりだが、神を信じる人の集まりである。時に助けられ、時に自分が助ける。時に誰かのために祈り、時に多くの人から祈ってもらう。そうやって互いに助け合い、祈り合い、愛を学びながら共に生きるのが教会である。教会につながって生きることにより、神と共に人生を旅することができる。