民数記17章1〜13節
「主が選んだ人」
レビ族のコラとルベン族のダタンとアビラムは、結託してモーセとアロンに逆らって言った。「あなたがたは分を超えている。…なぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか。」(16:3) この反乱は、会衆の上に立つ250名のリーダーを巻き込んだ大規模なものとなった。モーセとアロンは神様によって選ばれ任命されたのであって、自己顕示欲や支配欲によってリーダーになったわけではなかった。コラたちの反乱は、モーセをお選びになった神様ご自身に対する反抗を意味したため、神様から厳しい罰がくだされた。
神様は人々の中にある不平を静めるために、奇跡によって御心を明らかにされた。部族ごとに杖に名前を記してモーセに渡し、契約の箱の前に置く。翌朝、杖を見ると、アロンの杖だけ芽を出し、つぼみを付け、花が咲き、実を結んでいた。こうして全イスラエルの前に、神様がお選びになったのはアロンであるということが明らかになった。
しかし、この奇跡的証明に対する人々の反応は消極的なものであった。人々は「ああ、私たちは死んでしまう。私たちは滅びる。みな滅びる」と絶望を口にした。つまり、多くの者がコラの処罰に納得しておらず、モーセとアロンがリーダーであることに疑義を抱いていたのである。あれほど鮮やかに御心が明らかにされたのに、人々は神に逆らう火種を捨て去ることができなかった。
人に対しての不満も神に対する不平も、根が深いものであって手放すことは容易ではない。しかし不平不満は敵意を育てる苗床であって、放っておくと自分を正当化し人から離れて孤立させる。
神様は不平を静めたいと願っておられる。不平不満に対する処方箋は、告白と対話である。神様には罪を告白し、人に対しては互いに話ができる関係を保ち続けることである。ヤコブの手紙5章には「互いにつぶやき合ってはいけません」とある(5:9)。つぶやきは神様に聞かれていることを自覚したい。だからこそ「互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい」と命じられる(5:16)。教会の交わりは、つぶやくためではなく、告白し祈り合うために与えられている。
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。」(ヤコブ5:16)