申命記7章1〜26節

「主の恵みは千代に」

 

 約束の地カナンを受け取るために、主はイスラエルの民に「あなたは彼らを聖絶しなければならない」と命じられた。聖絶とは、滅ぼし尽くして神様にささげることである。異教の神々の像や礼拝所の破壊や王や兵士を殺すことはもちろん、女性や子どもたちまで殺す場合もあった。私たちの感覚では、理解に苦しむことである。

 なぜ神様は聖絶を命じられるのか。それは罪の裁きのためである。カナンにいる諸民族が犯してきた罪を裁くために、聖絶は行われた(9:5)。そして聖絶は、世の終わりにおける最終的な裁きがあることを示している。実に主は、救い主であり、罪を裁くお方である。その意味において、ノアの洪水やソドムとゴモラも聖絶であったと言える。イスラエルの民も、罪を犯した場合には聖絶の対象になるとされる(26)

 罪を裁くことは主なる神様だけがなさることである。ジェノサイド(民族抹殺)は許されることではない。他の宗教の像を破壊することもしてはならない。私たちは、誘惑との決別という点において聖絶から学びたい。

 神様は命令を守る者に、恵みの契約を千代まで守る。千代とは文字通り1000世代ではなく、推し量ることのできないほどの恵みをくださるということである。この恵みは主イエス・キリストにおいて実現した。主イエスは私たちの罪を背負って十字架で死なれた。つまりそれは、私たちの代わりに聖絶されたのである。ここに愛がある。私たちは神様の愛に応えて主の命令を守り、千代の恵みに生きてゆこう。

 

 「私が、きょう、あなたに命じる命令―おきてと定め―を守り行わなければならない。」(11)