申命記16章1〜17節

「大いに喜びなさい」

 

 モーセは、これからカナンに入ろうとするイスラエルの民に対して、神さまが定めた3つの祭りを命じる。これらの祭りはレビ23章で定められているが、ここでは教育的な目的で繰り返されている。カナンでは、荒野時代とは比較にならないほど誘惑が多くなる。各部族がおのおの生活する場所には、土着の民族がそれぞれに神礼拝を行っている。この後の歴史を見れば明らかなように、イスラエルの民はアシェラやバアル、モレク、アシュタロテなど、様々な神々に惑わされてしまう。

 3つの祭りとは、①過越の祭り・②七週の祭り・③仮庵の祭りである。神さまはこれらの祭りを通して、信仰を軌道修正し・強化しようとされた。今、教会ではこれらの祭りを行わないが、その教育的な意図はカタチを変えて現代の教会に与えられている。

 ①過越の祭りは、“ここに救いがある”ことを教える。出エジプトにおける救いの出来事を追体験することにより、信仰の原点がここにあることを記憶する。今では教会の聖餐式が同じ役割を果たしている。主イエスの贖いこそ救いの原点である。信仰に迷った時にはここに帰り、ここからやり直すことができる。

 ②七週の祭りは、“教会につながっていることを感謝する”ことを教える。元々は小麦の収穫を喜ぶ祭りだったが、主イエスが天に昇られた後、弟子たちに聖霊が臨むことによって教会が始まった。今日私たちは、自分の信仰が礼拝に参加することによって守られ・支えられていることを覚えたい。教会のつながりにおいて聖霊が働いてくださり、信仰が整えられ・養われている。教会につながっていることを感謝しよう。

 ③仮庵の祭りは、“まだ旅の途中である”ことを教える。どんなに人生に成功したとしても、それで人生の旅は目的地に着いたわけではない。どの人も、人生の旅の途中にいる。私たちには、神さまによってすばらしい目的地=終わりの時が与えられている。その時、神さまはすべてをご支配くださり、素晴らしい世界を造ってくださる。これは喜びに満ちた最後であって、これを希望にしながら、この世の重荷や理不尽を耐え忍ぶことができる。