申命記2章1〜15節
「約束の地を受け取れ」
申命記は、モーセが天に召される数週間前に語った遺言説教である。1章ではエジプトを出てからホレブ(シナイ山)を経てカデシュ・バルネアに到着したこと、約束の地カナンに12名の偵察隊を派遣したこと、しかし主の約束を信じることができず神様に背いたこと等が語られた。
2章でモーセは、これからのことを語る。「長らくセイル山のまわりを回っていた」(1)とは、カデシュ・バルネアでの不信仰により38年間荒野にいた期間である。時は満ちた。主はモーセに、向きを変えて約束の地を目指して前進するように命じた。
セイル山の周りでの38年は、想像を絶する過酷な日々であっただろう。前に進むことのできない時間は、私たちにとっても重苦うしいものである。もがいても抜け出せず、焦り苛立つ。決断できずにチャンスを逃す。時間を無意味に過ごしてしまう。……この38年間、神様はイスラエルの人々に対して、顔を背けておられたのだろうか。不信仰の罰として“死ぬまで荒野に閉じ込められて、苦しめばよい”と突き放しておられたのだろうか。
モーセは7節でこう語る。「事実、あなたの神、主は、あなたのしたすべてのことを祝福し、あなたの、この広大な荒野の旅を見守ってくださったのだ。」(7) あの“前に進むことのできない38年間”であっても、神様はイスラエルの民を祝福し続け、見守っていてくださった。なんと大きなあわれみであろうか。
神様は、私たちにも向きを変えて前進するように命じられる。そのために私たちは、自分の現実にも神様が祝福と守りを与えてくださると信じたい。もし、“この現実に祝福なんてあるはずがない”と決めてしまったり、“アレがこうなったら祝福だと思える”と祝福のカタチを限定してしまうなら、向きを変えて進むことは難しい。まず、私の現実に神の祝福があることを信じ、自分から神様の祝福を探しに出かける。現実を観察し、学ぶようにして神様の祝福を見つける。それが向きを変えて出発することである。荒野の38年間、祝福し続け・見守ってくださった神様のあわれみを信じよう。
「事実、あなたの神、主は、あなたのしたすべてのことを祝福し、あなたの、この広大な荒野の旅を見守ってくださったのだ。」(7)