第1歴代誌11章10〜19節
「ダビデ王の即位」
歴代誌は、バビロン捕囚から解放された人々のために書かれた。イスラエルの新たな歴史を作ろうとする時、彼らは礼拝を重んじ、神を礼拝する国として整えられることを目指した。
ダビデ王に仕える三勇士とその武勇伝が紹介される。ペリシテ人との戦いが続く中、ダビデは疲れていたのだろう。「ベツレヘムの門にある井戸水が飲みたい」としきりに願う。ベツレヘムはダビデの故郷であり、その水の美味しさを思い出したのだろう。しかしこの時、ベツレヘムにはペリシテ軍の守備隊長が駐留していた。水を汲みに行くことは死を意味する。
しかし三勇士たちは、ダビデのためにベツレヘムに出向き、その井戸から水を汲んで来た。ダビデに対する愛と尊敬の表れである。ダビデは非常に感激したが、その水を飲もうとしなかった。ダビデはその水を神様にささげて礼拝した。
ダビデは言った。「そんなことをするなど、わが神の御前に絶対にできません。これら、いのちをかけた人たちの血が、私に飲めましょうか。」(19) ダビデは自分が「わが神の御前に」生かされていることを大切にした。全イスラエルのトップである前に、神様に従う一人の人間であるという意識である。
私たちは「夫」「妻」「父」「母」「社員」「学生」など、様々な立場や肩書を持つ。人の目で見れば、そこには上下関係があり、優劣があるかもしれない。しかし神様の目で見れば、そこには役割や責任の違いがあるだけで、上下や優劣はない。神様はその立場や役職を通して、ご自分に仕えるように、周りの人々に仕えることを願っておられる。それは謙遜さを学ぶ生き方となって現れ、やさしさで結ばれた共同体を形成する。
神様を意識し、神様に従う心で人々に仕えて生きることを「礼拝的生き方」と呼びたい。これこそ歴代誌が目指した国作りの軸であり、私たちに与えられている生きる道である。
「そんなことをするなど、わが神の御前に絶対にできません。これら、いのちをかけた人たちの血が、私に飲めましょうか」(19)