テサロニケ人への手紙第一5章23〜28節

「真実の神」

 

 テサロニケ教会への手紙の終わりに、パウロは想いを込めて記している。「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。」(23)

 「平和の神」。パウロは教会が混乱することを案じているのだろう(Ⅰコリント14:33参照)。どのような理由であれ、もし教会がいっしょに集まることをやめてしまうなら、それは混乱した状態である。主イエスを信じる者たちは、いっしょに集まるのである。

 確かに、人が集まると摩擦が起こり、傷つく人が出る。だからこそ、パウロは「平和の神」に祈る。テサロニケ教会が、「平和の神」によって聖さをいただいて、集まることを続けられますように、と。

 パウロには一つの確信があった。それは、神様の真実さである。神様はテサロニケの信徒たちに主イエスを信じる信仰をお与えになった。それならば、どんなに教会が嵐の中を通ることになっても、神様はその教会を見捨てることはない。どんなことがあっても教会を守ってくださり、そこに集まる人たちの信仰を完成させてくださる。私たちも、神様の真実な約束によって守られている。

 パウロは「この手紙がすべての兄弟たちに読まれるように」命じる(27)。字を読める人が限られた時代、全員が読むためには誰かが助けなくてはならない。そうやって助け合いながら、みことばを囲む交わりこそ教会の姿である。教会の高齢化が叫ばれるが、本来の姿に帰る好機と受け止めよう。

 

「あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。」(24)