第2テサロニケ2章1〜17節
「不法の人が現れたなら」
再臨とは、イエス様が再び地上に来られることである。その日、神を愛し敬う者は皆、イエス様が復活されたように復活の恵みをいただき、イエス様と共に新しい天と地に入る。その日、イエス様はすべての人のすべての行いについて、公正な裁判をなさる。
いつ再臨が来るのか。パウロはテサロニケ教会の人たちに「だまされないようにしなさい」と警告する(3)。まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない」(3)。しかも「不法の人」は定められた時に現れるように、「いま引き止めているものがある」(6)という。
「背教」「不法の人」「引き止めるもの」。いずれもそれが何なのかは明らかではない。こういうことは無理にこじつけようとせず、わからないままにすべきである。しかしパウロの意図することは、再臨のことで「落ち着きを失ったり」してはならない(2)、ということである。
落ち着いているということは、船が錨によってしっかりと固定され、安定している様を言う。私たちに与えられている救いは、「御霊による聖めと、真理による信仰に」よるものである(13)。つまり私たちは、自分で自分を救ったのではなく、神様が私を救ってくださったのだ。救いをくださった神様が、再臨の時に見捨てるはずがない。それ故、再臨のために特別な備えをする必要はない。神様がくださる日々の恵みに応えて、神を愛し人を愛して生きるのである。
「主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による自由によって、あなたがたを初めから救いにお選びになったからです。」(13節)