第1ペテロ2章1〜10節
「主のもとに来なさい」
ペテロの手紙は、皇帝ネロによる大迫害に備えるため、小アジア地方の教会に宛てて使徒ペテロが書いた手紙である。ペテロは「生まれたばかりの乳飲み子のように」みことばを慕い求めるように勧める。今日のように、聖書を手に入れることができない時代である。みことばを求めることは、礼拝に集うことに直結していた。乳飲み子が一心不乱にミルクを求めるように、キリスト者は迫害や困難の時こそ礼拝に集い、いのちのみことばを神様に求めなければならない。
「あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっている。」(3) みことばには味わいがある。教会で主にある人たちと共に礼拝するとき、みことばによって、主イエスがどんなにいつくしみ深い方であるかを味わう。主イエスのいつくしみは、迫害を生きる者たちを深く慰め、勇気を与える。
「すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口」に注意しなければならない(1)。これらのものは、人との絆を傷つけ・破壊する。そして、共に礼拝する意欲を失わせ、主イエスのいつくしみを損なわせる。私たちは、これらのものを捨てる戦いをしなければならない。神様の御前に自分の罪を悔い改めつつ、悪に流されないように戦う力をいただきながら、みととばに生かされる者でありたい。
こうして私たちは、主イエスを礎とする教会として互いに組み合わされる(5)。主イエスが“大工たちが捨てた石”と言われるのは、人々から捨てられ十字架に死なれたからである。しかしその石が後にその建物全体を支える「礎の石」となったように(7)、主イエスは「神の民」(10)「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」(9)の礎となられた。
主イエスは私たちを、ご自身を信頼するように招いておられる。主イエスに信頼する者は「決して失望させられることがない」(6)。明日への道は主によって拓かれている。神の招きに応えよう。
「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の前には、選ばれた、尊い、生ける石です。」(4)