第2コリント5章1〜21節

「新しく造られた者」

 

 コリント教会は深刻な問題を抱えていたが、パウロの手紙や訪問を通して良い方向にむかい始めた。パウロはその報告を聞いて喜びつつ、コリント教会をさらに信仰の豊かさに招こうとする。

 パウロは、今の私たちを「地上の幕屋」にたとえる。「幕屋」がどうしても傷んで悪くなってしまうように、私たちの身体は歳を重ねると弱り、病を経験するばかりか、罪の影響を受けてしまう。しかし主イエスにあって、私たちには「神の下さる建物」「天にある永遠の家」があると約束される。神様は私たちが天の御国に入るに当たり、新しい身体を用意しておられる。それは「建物」「家」にたとえられるような強く確かなものである。

 この約束によって、私たち人間の「うめき」はまったく別のものに造り変えられた。神を知らない者は、生きることへの欲望から、どうしても死を嫌い・避けようとしてしまう。しかし主イエスを知ることにより、キリスト者は死の先に約束された平安があることを知り、それが確実に与えられると確信する故に、天において喜びが完成する姿を憧れる「うめき」をするようになる。この約束は不確かで不確定のものではなく、主イエスの復活と御霊の証しによって確かで確実なものである。

 このように力強く確かな希望によって、私たちは「キリスト」によって「新しく造られた者」とされ、「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しく」なったと言える。パウロは、この約束をキリスト者が獲得していくものとしてではなく、主イエスにあって一括で与えられるものとして提示している。いや、これは“提示”以上のことであって、「キリストの愛が私たちを取り囲んでいる」とあるように、“この福音を知ってほしい”と神ご自身が熱意を込めて願っておられる。このような神の熱意を受け止め、パウロは「神の和解を受け入れなさい」と「懇願」している。私たちは、主イエスを信じて死の先に平安が約束されたことにより、今すでに「新しく造られた者」とされている。

 

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(17