詩篇119篇145〜160節
「みことばにしたがって」
神様を信じる幸いの一つに、祈りがある。手の打ちようがない時にも、祈ることはできる。これは大きな心の支えになる。自分が祈れない時には、教会が自分のために祈ってくれる。
「私は心を尽くして呼びました。主よ。私に答えてください。」(1) この人は、祈りの答えを求めている。祈っているのに何の答えも得られないと不安になる。自分の祈りが悪いのか、忍耐して待つべきか、自分から行動すべきことがあるのか考えてしまう。そういう時に、結論を急いではならない。結論を急ぐと、祈りを軽んじることになってしまう。祈りの答えが得られない時は、みことばを求め・みことばに従う。「私はあなたのおきてを守ります。」(1)
みことばは、祈っている課題を整えてくれる。もしその祈りが自分勝手ならば、それに気付かせてくれる。御心にかなっているなら、励ましと忍耐が与えられる。/また、みことばは様々な誘惑や敵対する者から守ってくれる。みことばを愛する人を、神様は恵みで生かしてくださる(159)。神様は、みことばに従っている人を必ず守ってくださる。
詩の作者は「あなたが決めておられるように、私を生かしてください」と繰り返し願う(156,149)。祈りの答えが得られなくても、神様が決めておられるように生かしてくださることが自分の幸せなのだと告白する。これは“神様のために苦労することから逃げない”という決意表明である。神様からの祝福を拒む人はいない。しかし神様から苦労を負わされることがわかると、つい逃げ出したくなってしまう。
神様は、御心に従おうとする人を必ず助けてくださる。それは、神様に従った先達たちの足跡が証ししている(152)。主イエス様の救いをいただいた者たちは皆、自分の十字架を負って主イエスに従うよう召されている。その道は復活へと続いている。
「あなたのあわれみは大きい。主よ。あなたが決めておられるように、私を生かしてください。」(156)