詩篇121篇1〜8節

「山に向かって目を上げる」

 

 「私は山に向かって目を上げる。」「山」はエルサレムのことであろう。エルサレムは「聖なる山」「主の山」と呼ばれ、神様を最も近くに感じるエルサレム神殿があった。(注①

 「私の助けは、どこから来るのか。」詩人は自分を呼び覚ますように、自分に問いかける。“私よ!私の心よ!おまえの助けは、どこから来ると思っているのか。自分の力か。歴戦の勇士か。先人たちの叡智か。おまえを助け・支え、人を動かし、道を切り拓くのは主なるお方ではないか。さあ、主なる神を仰ぎ見よ。神様に期待し、神様に助けを求めよ!”

 「天地を造られた主」。私たちは、太陽と地球の距離や地球の自転の傾きなど、地球が生命を宿すことができる絶妙な仕組みを知っている。そのすべてが主なる神様によるというのである。主の緻密な設計に感嘆するばかりである。

 詩人は「天地を造られた主」が「あなたを守る方」であると語る。私たちは毎日のように「守って下さい」と祈る。主イエスは「空の鳥を見なさい」と言われた(マタイ6:26)。種蒔も刈り入れもしない一羽の雀が養われているのは、天の父が守っているからである、と。神様は私たちの日常の小さなことにも心を配っておられる。毎日「お守り下さい」と祈る時、私たちを守るのは地球と太陽を創造されたお方なのだということを意識したい。神様を見上げ、神様に期待し、神様を待ち望もう。

 

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」(1,2

 

注①:これを“人生の困難の山”と読むこともできる。その場合は「私の助けは…」は、“この世のどこにも助けはない”となる。そこから「天地を造られた主」を見上げる。