詩篇128篇1〜6節

「主を恐れ、主の道を歩む」

 

 詩篇128篇は、信仰者の祝福をうたっている。1つは、仕事があって十分食べていけること。もう1つは、夫に愛される妻と元気な子どもたちに囲まれた家庭があることである。これらの祝福は「主を恐れる人」に与えられると、作者は語っている(4)

 バビロン捕囚から戻った時代、これらのことは確かに祝福であった。多くの人が貧しく、豊かな人からお金や食べ物を借りており、ある者は返済のために子どもを手放した(参照 ネヘミヤ5)。定まった仕事がなく、食べていくことも難しい時代だった。妻と子どもたちに囲まれた穏やかな家庭は、絵空事のように思われた。しかしユダヤの人々は主を恐れ、主の約束に期待しつつ、神殿建設に取り組んだ。

 今日の日本は、「貧困強制社会」と言われる。“努力すれば報われる”というセリフが時代錯誤と言われるようになった。正社員と派遣社員との間に賃金や社会保障に格差があり、「ブラック会社」や「ブラックバイト」という言葉が当たり前のようになっている。現代の若年世代にとって、“働いた分で食べていけること”や“家族の笑顔に囲まれた家庭”は、遠い世界になりつつある。

 こういう問題は、政治的な取り組みによって改善されるべきことである。しかし、信仰者はただ“政治の責任”を問うだけでなく、まずは自らの姿勢として「主を恐れる」ことを肝に銘じたい。特に、“家庭において、いかに主を恐れて生きるか”ということは、どの世代の信仰者にとっても課題であろう。

 家庭は、自分の素の姿でいられる場所である。リラックスできる場所であるが、同時に甘えも出る。罪も顔を出す。もし、そのような家庭において、“主を恐れる”ことを軸に据えるならば、神様はその家庭を祝福してくださる。実に、私たちの神は「主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られる」お方である(申命記7:9)。主と共に“主を恐れて生きる”冒険へ踏み出そう。主の道を歩む者の幸いをいただこう。

 

「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。」(1