詩篇80篇1〜19節
「私たちをもとに返して」
同じ言葉が3度繰り返されている。3節、7節、19節に「私たちをもとに返し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます」とある。
詩人をめぐる状況は厳しい。「なぜ、あなたは、石垣を破り、道を行くすべての者に、その実を摘み取らせなさるのですか」とあるように(12)、敵国に国境を侵入され、小さな町や村では略奪の被害がある。“いつかは私の町も…”と思うと気が気でない。しかも詩人は、「なぜ、あなたは…」と語るように、この被害が神様の御手によってもたらされていると受け止めている。まるで、神様が自分たちを見捨ててしまったようである。ならばこそ、「私たちをもとに返し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます」と、神様との関係回復を祈り求めるのである。
この祈りの中に、詩人の信仰が光を放っている。彼は、敵国が攻め込む緊急事態において、神様との関係回復を最優先にして祈り求めている。この祈りには、“神様との関係さえしっかりしていれば、あとのことは大丈夫”という神様に対する強い信頼が裏打ちされている。
私たちは目の前に問題や苦しみがある時、「助けてください、守って下さい」と祈るだろう。しかし、そこに神様への信頼があるだろうか。主イエスの弟子たちは、荒れ狂うガリラヤ湖で死の恐怖を感じた。彼らは眠っている主イエスを起こして言った。「私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」(マルコ4:38)主イエスは起きて、嵐を静めて「信仰がないのは、どうしたことです」と弟子たちを叱られた。それは“なぜ私がいるのに、私を信頼しないのか”という主イエスの嘆きであった。弟子たちが主イエスを信頼して“あなたなら、嵐を静めることができます。助けてください”と言っていたら、主イエスは喜んで助けてくださっただろう。祈りにおいて、主イエスを信頼することを心したい。
「万軍の神、主よ。私たちをもとに返し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。」(19)