第1テモテ6章1〜21節

「満ち足りる心を伴う敬虔」

 

 聖書の時代、地中海世界でローマ以外の大都市の一つにエペソがあった。エペソは交易の要所であり、女神アルテミス大神殿のある都として栄えていた。エペソの教会には、長老・執事・婦人執事がおり、やもめたちを支援する働きも行われていた。そんなエペソ教会で牧師として奮闘していたのがテモテであった。パウロはテモテを後継者の一人と考えていたようである。テモテへの手紙には、テモテに対する期待や心配、牧師としてのものの見方や考え方などが含まれている。

 6:1,2には「くびきの下にある奴隷」に対する勧めがなされている。主人と奴隷が同じ礼拝に出席していたのだろう。教会では、主人と奴隷の関係を超えて、主にある兄弟姉妹となる。そこで奴隷が心を高ぶらせて、キリスト者の主人を軽く見るようになったようである。そういう状況において、両者に福音が福音として届くためにはどうしたら良いか。私たちは「奴隷制度そのものがおかしい」と思うかもしれないが、当時、そのような発想は見られない。パウロは「主人が兄弟だからと言って軽く見ず、むしろ、ますますよく仕えなさい」と命じた。奴隷の仕事を“主からのもの”として受け止め、しっかり励むようにということである。

 次にパウロは、お金の取り扱いについて触れる。お金は大きな誘惑の一つであり、誰でも「金持ちになりたがる人たち」になる可能性がある。パウロはテモテを含めて注意喚起を促す。私たちは皆いくらか、お金の力を知っている。お金があれば生活にゆとりができ、将来も安心できると信じてしまう。しかしお金の力を頼りにすると、「誘惑とわな」と「愚かで、有害な多くの欲」に陥る(9)。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根」とあるように(10)、お金の力に依存することは「信仰から迷い出て」自分を苦しめることになるとの警告がある。お金と自分との間に神様をお迎えし、神様が必要な分を与えてくださると信じる信仰を養いたい。そして神様がくださるもので満足することを学ぶなら、それは人生を生き抜く「大きな利益」である(6)

 

「しかし満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」(6