第一列王記4章20〜34節

「ソロモン王の知恵」

 

 ソロモンの時代、イスラエル王国は栄華を極めた。人口は増大し、人々は「飲み食いして楽しんでいた」(20)。周辺諸国との平和が保たれ、エルサレムには外国から商人や旅行客が溢れた。ソロモンは多くの歌を詠み、人々の心を魅了した。ソロモンの知恵の名声は広く知れ渡り、人々はこぞって謁見を求めた。

 「神はソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた」とあるように(29)、ソロモンの知恵の源は神ご自身であられた。イスラエルや諸国の民はソロモンをほめたたえたが、その背後に主なる神がおられたのである。

 日常の当り前と思うことの背後にも、主なる神の御手が伸ばされている。私たちのいのちを支えるすべてのものは、神から恵みとして与えられている。夏の日差しも梅雨の雨も、日々の食事も話をする友も、神の恵みである。

 新型コロナウィルスによって私たちは、当り前と思っていたことが実は恵みであったと気付かされた。これまで一緒に集まること、食事をすること、握手することなど、当り前だと思っていた。しかし今は違う。実は集まれること自体が恵みだったと教えられた。当り前の日常の中に、神の恵みが与えられている。その恵みに1つでも気付き、感謝の祈りをささげよう。

 ソロモンの時代に生きた人々は、イスラエル史上で最も豊かな時代を生きたと言える。しかしソロモンが天に召されると、人々は次の王に「ソロモン王が課した多くの税金と労働を軽くして欲しい」と言った。人々は不平を募らせていたのである。人は“豊かになれば感謝できる”と思っていては、いつになっても感謝はできない。今の現実において、与えられている神の恵みに心を配り、感謝することを始めよう。当り前だと思わずに恵みを数え始めるとき、感謝も始まるのである。

 ソロモンには、彼が悔い改めた記録がない。国を治め・人々を魅了する知恵はあったが、神のみことばを学び・神を恐れて生きる知恵はあったのか。神のみことばに従って生きる知恵は、たとえ王国が崩れようとも不動の知恵であり、希望と力の源である。