第二サムエル記19章1〜8節
「神の論理と人の論理」
ダビデ王に遺恨があった王子アブシャロムは、4年もの間クーデターに備えた。彼はダビデ王に不満を持つ者に取り入り、人心を掌握した。ついにアブシャロムは王権設立を宣言し、クーデターを起こす。ダビデは王宮から逃れ、逃亡生活に入る。当初はアブシャロム優勢だったが、情勢は次第に変わり、ダビデはアブシャロムと全面戦争をすることになる。
ダビデは「アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ」と頼んでいた。ダビデには勝つ自信があった。しかしそれ以上に、ダビデはアブシャロムを赦し和解しようと考えていた。しかしダビデの意図は伝わらなかった。将軍ヨアブは宙吊りになっているアブシャロムをやりで刺し殺した。ダビデはアブシャロムの死を悼み、「我が子アブシャロムよ、私がお前に代わって死ねばよかったのに」と泣きはらした。
ヨアブにはダビデの悲しみが理解できなかった。“あなたのために戦ったのに、敵の死を悲しむとは何事か。王は自分たちに恥をかかせた”とダビデを責めた。これは“やられたらやり返す” “自分の敵はつぶす”という人間の論理である。しかしダビデは神の論理で物事を見ていた。それは“敵であっても赦す”ということである。
神様は敵を赦される。罪を犯して神様に敵対する私たちを救うために、ひとり子イエス・キリストをくださった。これは敵をも愛する愛である。アブシャロムは、父ダビデに愛されていたとは知らずに死んだ。父なる神は、私たちに神の愛を知って欲しいと願っておられる。神の愛を受け入れよう。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」(第一ヨハネ4:9,11)