歴代誌第二 25章1〜16節
「損得勘定で動く王」
アマツヤは25歳で王となり、29年間、南ユダ王国を治めた。「彼は主の目にかなうことを行ったが、全き心をもってではなかった」とある(2)。つまり、心を尽くして主に従おうとしたのではなく、信仰に何かを混ぜていたのである。それは何だったのか。
アマツヤがエドムと戦いに臨んだ時、勇士30万の他に、北イスラエル王国から銀100タラントで10万人の戦士を雇った。しかし神の人が立ちはだかり、“10万の兵士を参加させるな、主は彼らと共に戦わない”と警告する。アマツヤは銀100タラントが無駄になることを惜しんだ。しかし神の人に従い、10万の戦士を解雇した。これは信仰的な決断だったが、思いがけない結末になる。アマツヤはエドムに勝利したにもかかわらず、エドムの神々を持ち帰り、これを礼拝した。しかも預言者が罪を指摘すると、預言者に“身の為を思ってやめよ”と脅迫したのである。アマツヤは戦いに勝利したが、神に背を向け、神から離れてしまった。
アマツヤの行動は理解し難い。しかしアマツヤは、神の人のことばを受け取り損ねたのである。神の人は、銀100タラントを惜しむアマツヤにこう言っていた。「主はそれよりも多くのものを、あなたに与えることがおできになります。」(9)
神の人はアマツヤに、“銀100タラントを一旦手放し、神が回復してくださることを待つ”ことを勧めた。ところがアマツヤは、“神に従うなら、結果的には儲かる”と受け止めたのである。
アマツヤはエドムに勝利したが、銀100タラントを回収できるほど多くの物を得られなかったのであろう。それで神に失望し、神に背を向けて、エドムの神を求めたのである。
アマツヤは神を信じ・神に従うことにおいて、この世の損得勘定を混ぜてしまった。“信じるからには得をしたい。神に従うけれども、損することはしない”というように。
神を信じるのは、自分が得するためなのか。神を信じた原点に帰らなければならない。神は私たちを救うために、ご自身を犠牲にされた。すべてを与え尽くして、私たちを救ってくださったのである。救いのすべては、神からいただいたものである。