第一サムエル記22章1〜23節

「孤独な男サウル」

 

 「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」民がこの歌で喜び踊るのを見て、サウルは激しく嫉妬した。そしてダビデが王位を狙っていると思い込み、ダビデを殺そうとした。ダビデは行くあてのない逃亡生活を強いられる。

 逃亡先を選ぶことでダビデは失敗を犯した。国内は安全ではないと考え、ペリシテ人の町ガテの王アキシュのもとに身を寄せようとした。これはあまりに早計だった。ダビデの予想に反して、ペリシテ人たちはダビデを警戒した。身の危険を察知したダビデは、とっさの判断で狂っている人を演じて難を逃れた。ダビデは失敗を経験したが、大胆に主の助けを叫び求めた。神様は私たちの失敗から助け出してくださる。失敗は自分で背負い込まずに、主に救いを求めよう。

 疑心暗鬼のサウルは孤独だった。王である自分が良くしてあげているのに、「誰も私のことを思って心を傷めない。」(8) こういう時、自分をわかってくれる人を探し求める。しかしどんなに人に同情されても、気を紛らわすだけで事態は何も解決に向かわない。解決を与えるのは、神様のみことばである。神様の前にみことばを求めて静まることによって、自分の過ちに気付き、赦され、心は整えられる。

 ダビデは自分のトラブルに、祭司アヒメレクの子エブヤタルを巻き込んでしまう。以前、ダビデは祭司アヒメレクに助けを求めたことがあった。それがサウルの怒りを買い、アヒメレクとその一族は殺されてしまう。ダビデはエブヤタルに咎を負った。しかし何をしても償うことはできない。ダビデは、この咎を自分が背負うべき十字架として受け止め、生涯をかけてエブヤタルを守ることを約束した。明日がどんな日になるかわからないが、神様の守りを信じて、自分の十字架を背負う責任を果たす者でありたい。

 

「あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足をつまずきから、救い出してくださいました。それは私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。」(詩篇5613