アモス3章1〜15節

「神である主が語られる」

 

 アモスが北イスラエル王国で預言者として活動したのは、ヤロブアム二世の時代であった。当時、北イスラエルはそれまで奪われるばかりだった領土を奪い返すことができ、国としては経済力も軍事力も上向きになっていた。しかしその恩恵は、豊かさに心を占領された一部の人間に独占された。その者たちは、別荘や象牙の家を建てるために自国の弱者を外国に売り渡すなど、人の道から外れたことを堂々と行った。

 そのような者たちに、アモスは問いかけた。“ここに私という預言者が語っているではないか。それは私の独白ではない。主なる神様があなたがたに預言者に語っておられるということだ。さあ主のことばを聞きなさい。”

 私たちも同じことを問われている。2017年の日本に主イエスの教会があり牧師が立てられている。それはこの時代において、主なる神様が語っておられるからである。

 説教は、牧師の独白ではない。牧師の説教準備のために信徒が祈ること、時間をかけて準備をする牧師の働き、祈りつつみことばを待ち望む礼拝者、これらのすべてが“主なる神様が語っておられること”に用いられている。

 アモスは、欲望の虜になり弱者を傷めることに平気になっている者たちに対して、それらの「そむきの罪」は神様によって必ず罰せられる、と預言した。その預言は成就する。北イスラエル王国はアッシリア帝国によって滅ぼされ、豊かさに狂っていた者たちはすべてを失い囚われの身としてアッシリアに連行される。

 神様は悪を裁かれる。自分の生きる向きを変え、神様に罪を悔い改め、主を求めて生きよう。

 

「まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。『わたしを求めて生きよ。』」(5:4)