ローマ人への手紙10章8〜10節

「心に信じ、口で告白する」

説教者:河野優師

(同盟教団支援教師、石神井福音教会協力教師)

 

 一般的に“神を信じる”ということは、“心のこと”と思われているのではないか。しかし聖書は、「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある」とあるように(8)、みことばは(心のことだけでなく)、「あなたの近く」や「あなたの口」という見えるところ・触れるところにある、と語る。

 

 使徒パウロは「みことば」を「信仰のことば」と言い換える(8)。この「信仰のことば」とは福音のことであり、福音の中心には主イエスの十字架がある。私たちが「イエスを主と告白し」、心で信じるなら「救われる」のである(9)

 

 信じたことは告白せずにはいられない。なぜなら「『イエスは主です』と言うこと」は「聖霊による」ことだからである(Ⅰコリント12:3)。私たちは、そのような信仰を与えられている。そして、心に信じることと口で告白することは表裏一体の関係にある。

 

 このように、私たちの信仰は心の中の問題だけではない。たとえば礼拝で賛美をささげることは、心で信じていることをメロディーにのせて告白することである。さらに“イエスは主である”と口で告白することは、“私の人生を導いてくださるのは、このお方だ。このお方にお任せして歩んでいる”という決意表明であり、神はこの告白に生きるよう、私たちを導いておられる。

 

 7月初旬、母を天に送った。母は5月から自宅で緩和ケアをしながら過ごしていた。私たちに弱音を吐くことはなかったが、日記のようなメモには苦しみや痛みが記されていた。それだけでなく家族への感謝と共に、“早く神さまのもとに行きたい”、“神さまにすべてをお委ねします”という信仰の言葉が繰り返し綴られていた。私たち家族はそれを見て、“母は信仰に生きた人、信仰に生かされた人だった”と、悲しみの中で大きな慰めをいただいた。

 

 信仰は心の中だけのものではなく、心に信じ・口で告白し・歩むものである。さらに信仰は、信じる通りに私たちの生き方を変え、私たちの生き方を神の前にふさわしく整える。私たちは信仰を与えられた者として、心で信じたことを口で告白し続ける歩みを続けて行きたいと願う。(まとめ:佐野泰道)