イザヤ15章1〜9節

「わたしの心は叫ぶ」

 

 イザヤの時代、どの国にとってもアッシリア帝国は最大の脅威であった。死海の東岸にあるモアブも同様だった。国の一部をアッシリアに占領されていたモアブは、アッシリアから独立する道を画策していた。

 しかしイザヤはモアブの全滅を預言した。一夜のうちに「アル」「キル・モアブ」といった主要都市は破壊される。古くからの神殿都市「ディボン」も破壊され、モアブの神々は敗北する。生き延びた人たちは死海の南端の「ツォアル」まで逃げるが、その者たちには「獅子」(ライオンか敵か)が送られる。アッシリアの襲撃は神様の裁きとして送られるものであり、誰も逃れられないものとされる。

 このように、神様の裁きというものは誰も逃れられないものである。今日の科学技術では天気予報では衛生を使い、インターネットも普及しているが、神様の裁きは防げない。神様は聖書を通して、“やがて神様の裁きの時が来る”というメッセージを語っている。主イエスも「この天地は滅びます」と語っている(マタイ24:35)。

 神様は「わたしの心はモアブのために叫ぶ」と語っておられる(5)。神様はモアブの絶望を望んでおられない。神様は「わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ」(エゼキエル33:11)。神様はその人が、神様のもとに帰ってきて生きることを心から願っておられる。その熱い思いによって、神様は御子イエス・キリストを地上に遣わされた。主イエスは十字架の上で、私たちが受けるべき呪いと罰を身代わりに受け、私たちの罪を償ってくださった。神様は今も、救いといのちに入るように私たちを招いておられる。

 

「わたしの心はモアブのために叫ぶ。」(5)