イザヤ29章15〜24節

「神を恐れることを学ぶ」

 

 南ユダ王国の王ヒゼキヤは、2つの大国の間で揺れ動いていた。アッシリアの傘下に入るか、反アッシリア同盟のエジプトと組むか。しかしイザヤは、アッシリアにもエジプトにも組みせず、主なる神様に信頼するように命じる。人々は神様を頼るのが筋だとわかっていたが、現実問題として本当に頼りになるのはアッシリアかエジプトか…と揺れ動いていた。「主に自分のはかりごとを深く隠す者たち」(15)とは、本音と建前で揺れ動く人々の姿を言い表している。

 神様を信じるということは、神様を信頼することと同じである。神様を信じているが、信頼しないというのはあり得ない。しかし私たちは、頭では“神様に信頼していこう”と思っても、いざ実生活では神様ではないものを神様以上に頼りにしてしまうことがないだろうか。

 神様はイスラエルの回復を約束される。彼らは「ヤコブの聖なる方を聖とし、イスラエルの神を恐れる」ようになる、と言われる(23)。神様を「聖とする」とは、神様を特別なお方として第一に信頼することである。私たちには現実的にいろいろな選択肢があるが、神様は心を決めて神様を信頼する者を守り「恥を見ないように」してくださる(詩篇31:1等)。

 神様の御心は「悔い改めて生きよ」であって、私たちが生きることである。神様を恐れ、神様を第一とする時、人は神様によって生きる者とされる。神様は今も、主イエス様に頼って救われる道へと私たちを導き、悔い改めて生きるように願っておられる。神様を恐れ・神様を第一に頼ることが、私たちが神様によって生きる道である。神様の招きに従って、神様によって生きる者とさせていただこう。

 

 「彼らはわたしの名を聖とし、ヤコブの聖なる方を聖とし、イスラエルの神を恐れるからだ。」(23)