エステル記8章1,2節、15〜17節

「町は喜びの声にあふれた」

 

 エステル記に神は現れない。偶然に偶然が重なるような仕方で神の御手が描かれ、最後には救いの御業が鮮やかに示される。エステルを通して、ハマンによるユダヤ人の虐殺計画は暴かれた。王はハマンを処刑したが、全てが解決したわけではなかった。王宮にはユダヤ人虐殺に同調するハマンの同志が大勢いた。何よりも、ユダヤ人虐殺計画は依然として効力を持っていた。

 

 ここで活躍したのがモルデカイであった。エステルは王にモルデカイとの関係を明かすと、王はハマンの代わりにモルデカイを重んじた。モルデカイは王の指輪を使い、全国に新しい法令を発布した。新たな法令により、ユダヤ人虐殺計画が実行されるその日、ユダヤ人たちは自分の命を守るために、敵対する者を殺して良いことになった。この法令によってユダヤ人たちは、敵対する者たちと同等の権利を持つことになった。

 

 ハマンの出した法令と同類の声が、現代の世の中においても発せられている。たとえば“生産性のない人は生きていてはいけない”という声であったり、“成果を出せない人は生きる価値がない”という声である。他人や周囲から、“あなたは存在してはいけない”という圧力や雰囲気を受けることもあれば、“私は生きる価値がない”と自分で自分にダメ出しすることもあるだろう。

 

 そんな世の中の声に対して、神は何を語られるのか。神はエステルとモルデカイを通して、ユダヤ人が存在できる法令を出された。ここに神の御心が示されている。神は“あなたはそこにいて良い”と語りかけ、“あなたは存在すべきだ”と声を発せられる。創世記3:9「あなたはどこにいるのか」というみことばは、現代において神がすべての人に対して発しておられるメッセージである。“あなたに存在していて欲しい”という願いを込めて、神は「あなたはどこにいるのか」と語っておられる。

 

 神はご自身の願いを、クリスマスにお生まれになったイエス・キリストに込めておられる。救い主イエスを支えにして、あなたも生きる者となって欲しい。神があなたを喜んでおられることを知り、自分が喜ばれていることを知って欲しいと願っておられる。