エレミヤ32章6〜15節

「神の回復を信じて」

 

 ゼデキヤ王の第10年のことである。この前年よりエルサレムはバビロン軍に包囲されていた。町には剣と飢饉と疫病が広がり、陥落まで時間の問題という危機的な状況であった。

 

 ある時エレミヤは、言いがかりをつけられて牢獄に入れられ、殺されかけたことがあった。それを知ったゼデキヤ王は、エレミヤを監視の庭に入れて保護していた。エレミヤが殺されかけたのは、エレミヤがイスラエルの敗北とバビロンの勝利を語る預言者として人々に広く認知され、敵視されていたためである。

 

 そんなエレミヤが、親類の土地を買うことになった。国の敗北を語るエレミヤが、土地を買うことは矛盾したことに思われただろう。しかしエレミヤは、自分が土地を買うという行動には、神からのメッセージが示されていると知っていた。

 

 それは回復を約束するメッセージであった。イスラエルはバビロンによって荒廃し、人々は捕囚の民としてバビロンに連れ去られてしまう。しかし神は、イスラエルの将来に「再びこの国で、家や畑やぶどう畑が買われるようになる」(15)という回復を約束してくださった。神はこの地に人々を帰らせてくだり、この国に穏やかな日常が戻ってくる。エレミヤは神の回復の約束を人々に示すために、公の場で・正規の手続きをして土地を買った。

 

 エレミヤの行動から、「たとえ明日、世界が滅亡しようとも、今日、私はリンゴの木を植える」という言葉を思い起こす。この言葉は一般的には、“今、自分にできることを精一杯する”という意味で知られる。しかし信仰の視点では、“神の回復を信じて、希望をもって今を生きる”という意味で受け取ることができる。

 

 バビロン軍に包囲され、絶望の暗雲が立ち込める時に、エレミヤは土地を買った。その後、エレミヤはエジプトで生涯の最後を迎え、購入した土地はエレミヤに利益をもたらすことはなかった。しかしエレミヤは神の回復を信じ、希望をもっていた故に土地を買った。その希望は個人の損得に左右されるものではなく、神を信じて待ち望む姿勢を整え、人間の真の姿を形成する。私たちは、神の回復を信じ、希望をもって今を生きる者でありたい。