ダニエル書11章20〜35節

「神の約束を握りつづけて」

 

 神がダニエルにお与えになった幻は、ペルシア帝国滅亡後の世界情勢に関わるものと、世の終わりについてのものであった。古代ギリシア帝国のアレクサンダー大王や(3)、その後のセレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトの覇権争い、そしてマカバイ戦争の契機となったアンティオコス4世エピファネスの登場などである(21)。これらは旧約聖書と新約聖書の狭間の時代である(中間時代)。イスラエルはシリアとエジプトの覇権争いに巻き込まれ、いずれかに支配される時を過ごした。

 

 シリアの王アンティオコス4世エピファネスは、エジプトとの覇権争いに破れた後(30)、イスラエルに対する圧政を強めた。彼は「エピファネス」(神の現れ)と名乗るように、自らを神として信仰の弾圧を行った。大祭司を罷免し、エルサレムにギリシア風の競技場を建設し、イスラエルにギリシアの神々を持ち込んだ。さらにユダヤ教を全面的に禁止し、神殿にゼウス神をまつり、神殿娼婦を住まわせた。礼拝、宗教教育、律法を守ることなどは一切禁じられ、全国に監督が配置されて厳しく取り締まられた。違反者はむち打ち、八つ裂き、十字架などで処刑された。

 

 すさまじい信仰の弾圧により、イスラエルの人々は厳しい選択を迫られた。ある者たちは「契約を捨て」(30)、神との約束を捨て、信仰を失った。その者は王に重んじられたが、ますます堕落した(32)。しかし神を信じ続けた人たちは、堅く立ち(32)、「思慮深く」歩んだ(33)。聖書が語る「思慮深い」とは、神と共に歩む道に「心を留め」(詩篇101:2)、神の契約から離れることなく、信仰の道を歩むことである。

 

 主イエスは、アンティオコス4世を例に出して「預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が聖なる所に立つのを見たならば」と語られた(マタイ24:15)。迫害をもたらす存在は、歴史上に繰り返し登場しており、今も存在している。主イエスは、その時には「山に逃げなさい」と言われた。信仰を捨てて逃げるのではない。神の契約を握りつつ、災いを回避するのである。みことばに従う者を、神がつかんでいてくださる。