テトス3章1〜8節

「聖霊が豊かに注がれて」

 

 クレテ島はギリシア半島の南に位置し、東西240kmの大きな島である。テトスは、クレテの教会で牧師として奮闘していた。「クレテ人は昔からのうそつき、悪いけだもの、なまけ者の食いしんぼう」(1:12)という言葉の通り、クレテと言えば嘘つきの代名詞であり、獣のように荒々しく、その上なまけ者で働かず、食べることには貪欲であるとされていた。パウロは、こういう“クレテらしい人々”を指導して、“キリストらしく”するようにと命じる。「あなたは彼らに注意を与えて」権威者たちに服従し、良いわざを進んでなし、柔和で争わない人とならせよ、と(1,2)。これは誰が見ても困難な仕事のように思われた。

 難しい仕事に直面する場面で、パウロは“自分が以前、どういう生活をしていたのか思い起こしなさい”と勧める(3)。誰もが神に反抗する愚か者であり、自分が欲に振り回されていることに気付くこともなく、人をねたみ・人を憎むような生き方をしていた。しかし福音の光によって自分の姿に気付かされ、救い主なる神のいつくしみと愛を知った。“キリストらしい”ところなど何一つない自分が、聖霊の働きによって“キリストらしい”者とされつつある。自分の罪深さを教えられ、悩みと葛藤の日々の中でも新しくされたのは、聖霊がみことばを通して働いてくださったからである。その人のうちにキリストがかたち造られるのは、聖霊が言葉のうちに働かれるからである。

 だからこそパウロは、テトスに「確信をもって話すように」と命じる(8)。テトスの言葉に聖霊が働いておられ、その言葉を通してクレテの人たちに“キリストらしさ”が造られていく。

 私たちはキリストの福音を運ぶ者として、それぞれの場所に遣わされている。福音を語る機会と語るべき言葉が与えられるように祈りたい。聖霊の働きを信頼するからこそ、自分の言葉に心を配り、確信をもって福音を語る者でありたい。

 

「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。」(5