マタイの福音書10章1〜15節

「伝道の心備え」

 

 主イエスは12人の弟子たちを伝道に遣わされた。派遣に際して、主イエスは伝道の心備えを幾つか語っている。これは、今日における教会の伝道にとって、大切な原則になる。

 

 まず伝道の対象範囲である。この時、主イエスは伝道の対象をユダヤ人に限定した。ユダヤ人は神の民として救い主を待ち望んでいたからである。救い主到来の知らせは、まずユダヤ人に伝えられるべきであった。しかし主イエスはその後、「全世界に出て行き」と大宣教命令をお与えになった。これにより、私たちが伝道する対象は「全世界」になった。

 

 注目すべきは、「イスラエルの家の失われた羊」という言葉である(6)。イスラエルの人々は十戒を守り、安息日に礼拝をささげていたが、信仰が形式的になり、信仰のいのちを失っていた。神の御前に出ることに恐れがあり、平安を失っていたのである。私たちが伝道すべき対象は、このような平安を得ていない人々である。

 

 次に、伝道で伝える内容である。主イエスは神の国を宣べ伝えるように命じている(7)。人は主イエスによって神の国を知る。私たちが伝えるべきは、救い主イエス・キリストである。

 

 主イエスは「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」と命じられた(8)。主イエスは「ただで」福音を届け・病を癒された。なぜなら、神の愛は一切の見返りを求めないからである。私たちは主イエス・キリストを語って、“神がどんなにあなたを愛しておられるか”という神の愛を伝える。

 

 最後に、伝道における神の導きである。主イエスは伝道に行く時の持ち物を必要最低限に限定した。これは、実際に伝道に行った時に、主イエスを信頼するためである。見知らぬ町に行った時、福音に心を開いている人との出会いも、生活に必要なものを提供してくれる人との出会いも、誰かが主イエスを信じようになるのも、すべてが主イエスの御手の中にある。伝道の働きは神に祈りつつ、神の導きにすがりながらなされるものである。神は私たちに人との出会いと・語る時と・語る言葉を与えてくださる。神の導きを求めて祈りながら、伝道の働きをなしていきたい。