マタイ4章12〜17節

「悔い改めよ、天の御国は近づいた」

 

 バプテスマのヨハネは、人々から預言者として見られていた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」というヨハネの説教を通して、大勢の人が罪を悔い改めて洗礼を受けた。しかし、そのヨハネが逮捕された。それは、ヨハネがガリラヤの王であったヘロデ・アンティパスの結婚について公然と異を唱えたからである。ヘロデは自分の兄弟の妻を奪って結婚したのであった。

 

 ヨハネ逮捕の知らせは、大きな事件として知れ渡った。主イエスは、この知らせを聞いた後、ガリラヤへ向かわれた。これは、ヘロデのもとに乗り込む行為であり、勇気ある決断であった。そしてヨハネが語っていた「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」という説教を、主イエスの説教として語り始められた(17)

 

 たとえヘロデがヨハネを逮捕しても、神の国が閉ざされることはない。なぜなら、救い主が世に来られたからである。神の国が開かれている故に、主イエスは悔い改めを語り、神の国に招く。

 

 新しい年が始まった。この年も、神の国は私たちに開かれている。神の国は、私たちにとって光である。光はいのちであり、希望である。この光こそ主イエスであって、主イエスは私たちに神との平和を与えてくださる。たとえ戦争に巻き込まれても、神との平和が取り去られることはない。たとえ戦いによっていのちを落としても、その人は“神に愛された者”として死を迎え、永遠のいのちに生かしていただくことができる。

 

 主イエスは、神の国への招きとして「悔い改めなさい」と語られた。悔い改めは、神さまの方に向きを変えることである。主イエスと共に生きる歩みにおいて、私たちは何度も悔い改める。自分が罪の意識を持った時だけではなく、祈る時、感謝する時、祝福を求める時など、神さまを求める時にはいつも、神さまの方を向いて悔い改めるのである。キリスト者は、天の御国の門に立つ時まで、神さまの方を向き変えながら歩み続ける。

 

 私たちは、新しい年を悔い改めから始めることができる。これは大きな祝福である。1年の始めにあたり、神さまの方をしっかりと向いて、神さまの祝福と平和を祈り求めていきたい。