マタイの福音書 6章5〜15節

「祈りの世界」

 

 主イエスは、弟子たちに主の祈りを教えられた。まず「天にいます私たちの父よ」と呼びかける。神は、私たちの“父なる神”である。すなわち、私たちのためにひとり子の主イエスをくださった愛なる神として、私たちの祈りに応えてくださるお方である。

 

 次に、「天」が「地」につながっていることを意識したい。主イエスは「神の国が来た」と言われた。つまり、主イエスが来られたことによって、「天」が「地」に結び合わされているのである。私たちは祈る時に、「地」にいながら「天」におられる神さまに呼びかける。「天」の神の御名を、「地」にいる私たちがあがめることができるように。「天」の御国が「地」に広がるように。この「地」においても、「天」のように神の御心が行われるように祈る。

 

 また主イエスは、日常のこととして「日ごとの糧」と「人を赦すこと」と「誘惑」のために祈るように教えられた。ロイドジョンズは、「日ごとの糧」は「人を赦すこと」や「誘惑」よりも克服するのが難しいと語った。「日ごとの糧」の重みを受け止めたい。

 

 「日ごとの糧」は11日のリアルな生活を意味している。神は、私たちの11日に目を留めておられ、私たちのことを知っていてくださる。私たちの日常に「神の国」が来ているのである。

 

 「人を赦すこと」は、神に対する負い目と結び付けられている。私たちが誰かを赦すことと、神に赦しを求めることは連動している。人を赦すことは誰にとっても難しいが、祈りの中で取り組み始めたい。「あの人を赦せますように」「赦したいと思います」「赦します」と祈る中で、神の助けをいただき赦しに向かうのである。

 

 「誘惑」についても、私たちはこの世の試みや悪の働きから守られるように祈らなければならない。私たちは自分が弱い者であることを自覚し、神さまの助けを大胆に求めるべきである。

 

 私たちは祈ることで、「隠れたところで見ておられる」父なる神の御前に出ることになる。私たちがいる「地」は、様々な問題や痛みがあり、悪や罪が力をふるい、悲しみや涙の時もあるが、私たちが祈る時、「天」は「神の国」として、その場所に来ている。「天」と「地」がつながる世界、それが“祈りの世界”である。