マタイの福音書2章1〜12節

「救い主に会う喜び」

 

 ベツレヘムで主イエスがお生まれになった時、救い主誕生の知らせはほとんどの人に知られなかった。マリヤとヨセフは、自分たちの口で“この子は救い主である”とは言わなかった。イスラエルを治めるヘロデ王も、救い主が生まれたことを知らなかった。

 ところが、この知らせは天使たちによって羊飼いに届けられる。主イエスが生まれたその夜、羊飼いたちは天使が告げたことを信じて「飼い葉おけに寝ている赤ちゃん」を目印に、救い主に会い来た。救い主を見つめる羊飼いたちの顔は、喜びに輝いていた。

 しばらくして、東方の博士たちも主イエスを礼拝するためにベツレヘムを訪れた。彼らは星で世の中の動きを占う占星術師であり、聖書の約束とは縁もゆかりも無い人たちであった。しかし天の父なる神は、不思議な星を出現させて世界の王が生まれたことを知らせた。占星術者たちは喜びをもって幼子イエスと出会い、黄金と乳香と没薬をささげて礼拝した。

 このように、世界ではじめのクリスマスは主イエスを囲んで共に喜ぶ時となった。しかもこの喜びに最初に招かれたのが、羊飼いという雇用された者たち・東方の博士という異なる神を信じる者であったことは注目に値する。クリスマスの時、主イエスを囲む喜びには、すべての人々が招かれているのである。

 ところがヘロデ大王は「幼子のことを調べ、わかったら知らせるように」と命じるだけで、この喜びに加わらなかった。ヘロデ自身は優秀な人物であり、特に建築に関しては天才的な才能をもっていた。しかし王位に関しては異常なほど不安に取り憑かれており、いつも王位を失うことに怯えていた。

 現代社会において、不安は多くの人が抱える重荷であると言える。特に自分のコミュニティから承認されることに対する不安は大きいと言える。私たちはいつも、自分が世の中からズレていないかと気にしながら生きているのではないだろうか。

 しかしクリスマスの喜びは、私たちの不安を和らげてくれる。主イエスを囲む交わりには、どんな人々も招かれる。失敗してもやり直しができるコミュニティ、それが教会である。