マタイの福音書 8章1〜34節

「ただ、おことばをください」

 

 「すると、ツァラアトに冒された人がみもとに来て」(2)。山上の垂訓を聴き終えて、みことばに心酔している人々の中に、突如としてツァラアトの人が登場する。「すると」とは、突然の出来事、その衝撃、その違和感を語っている。

 ツァラアトは重い皮膚病であり、「らい病」より広い定義を持つ。この病にかかると人々から隔離される。病気による身体の変形だけでなく、将来への不安や孤独に蝕まれる。

 突然の出来事にも、主イエスは動じることなく静かであった。ツァラアトの彼は、“主イエスなら治せる”と信じていた。しかし自分がその恵みにあずかることができるかどうかは「お心一つ」、主イエスの意思に謙遜に従うと決めていた。

 主イエスは手を伸ばし、彼に触って「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた(3)。ツァラアトに触れることは感染するリスクもある。しかし主イエスは、彼と同じ病になっても良いというほどに、その苦しみに共にいてくださる。

 これは、預言者イザヤの言葉の成就であった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った」(17)。主イエスはツァラアトの苦しみを、ご自分が引き受けてくださった。そうやって、多くの人の病とわずらいを背負った結果が十字架であった。実に主イエスは、最悪のわずらいである私の罪と私の死を引き取ってくださり、“神の罰としての死”を私に代わって死んでくださった。

 主イエスは、すべてのけがれを担ってくださる。ツァラアトの人に触れたように私に触れ、私の苦しみにおいて共に生きてくださる。私を受け入れ、愛してくださる。

 

「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」(2