マルコ5章35〜43節

「ただ信じていなさい」

 

 会堂管理の務めをしているヤイロという人物がいた。神を信じる人であり、人々からも信頼され、経済的にも安定した生活をしていた。しかし彼には、12歳にもなる娘がいて、ずっと病気のために苦しんでいた。しかも今、危険な容態であった。ヤイロは主イエスのことを聞いたのであろう。主イエスのもとに出向き、深刻な状況を訴え、ぜひ娘の回復を祈るために自宅まで来ていただきたいと願った。主イエスはヤイロの願いを受け入れた。

 

 しかし主イエスの周りには、主イエスを求める人々で混雑していた。あまりにも大勢の人の群れのため、時間がかかった。先を急ぐヤイロは、どんなに焦ったことだろう。その途中、ある女性が主イエスの服に触ったところ、ただちに癒やされた一件もあり(2534節)、ヤイロの気持ちは擦り切れそうであった。

 

 そんな時であった。ヤイロの家から使いが来て、娘が亡くなった知らせが届いた。ヤイロの顔色が変わった。絶望と悲しみがヤイロを包み込んだ。しかし、その様子を主イエスが見ておられ、すぐにヤイロに言われた。「恐れないで、ただ信じていなさい。」

 

 ヤイロは信じたのか。“娘は生き返る”と信じることは、この時のヤイロには不可能だったのではないか。それでもヤイロは、主イエスに“もう十分です、間に合いませんでしたから”と別れを告げることはなかった。むしろ主イエスを自宅に案内し、娘が横になっている部屋に迎え入れた。すると主イエスは、娘の手を取って言われた。「タリタ、クミ」(少女よ、起きなさい)。すると娘は起き上がった。一同が驚愕したことは言うまでもない。

 

 ヤイロの姿に、“信じる人”の姿を見る。ヤイロはショックだっただろう。混乱していたに違いない。それでも、ヤイロは主イエスを追い返さなかった。主イエスと一緒にいて、主イエスがなさることを見ていただけだった。私たちも人生の歩みの中で、回り道も上り坂も行き止まりも経験するが、主イエスを追い返さず、主イエスが私にしてくださるのを見ていく時に、思いがけない恵みが与えられる。そのようにして、主イエスが私にくださる日々を数えながら、主イエスと共に生きるよう招かれている。