ミカ書4章1〜5節

「主の小道を歩む」

 

 預言者ミカの時代、アッシリア帝国の脅威が迫っていた。それは「終わりの時」を意識させることになった。もし「終わり」が虚しいなら、今、生きることも虚しくなる。「終わり」は人の生き方を決定するものである。

 ミカは「終わりの時」が主にあって虚しくないと預言した。「主の家の山は、山々の頂に堅く立つ。」(1) 「主の家の山」がどの山よりも高くされるように、神様がすべてのものを治める統治者であることが、すべての人々に明らかにされる。人々は誘い合って「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう」と言葉を交わし合い(2)、神様がみことばを語ってくださる。

 このように、「終わりの時」は神様にある喜びの時である。神様が親しく語ってくださり、私たちはみことばに慰められる。神様にあって「終わり」が良い時となるからこそ、私たちは今、厳しい時代を生きることに意味が与えられる。「終わりの時」は、私たちが目指す目的地となる。

 その時、神様が完全な平和を打ち立てられる。「その剣を鋤に、その槍をかまに打ち直す」とある(2)。仮に「終わり」は殺し合って共に倒れるなら、今、平和のために労苦するのは虚しくなる。しかし「終わり」に平和が約束されているからこそ、これを希望にして、キリスト者はそれぞれに与えられた時間を平和を造るために用いるのである。

 神様は「私たちはその小道を歩もう」と招かれる(2)。「小道を歩む」とは旅をすることである。私たちの人生は、神様と共に生きる旅である。旅の目的地は「終わりの時」であり神様との喜びの時であり、完全な平和が成る時である。そこに向かって、今日も神様と共に、平和を造ることを願って歩む。私たちは、そのような旅へと招かれている。

 

「さあ主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」(2