ヨシュア記22章1〜34節

「主が私たちの中におられる」

 

 カナンでの戦いが一区切りして、ルベン族・ガド族・マナセ族の半分は、ヨルダン川の向う側に帰ることになった。彼らはすでに家族と家畜を住ませる土地を得ていたが、他の部族が領地を得るまで先頭に立って戦うことを誓い、見事にその通りにした。ヨシュアは労をたたえ、祝福して送り出した。

 彼らはその帰り道、ヨルダン川のほとりに非常に大きな祭壇を築いた。ヨルダン川という大きな隔たりがあっても、自分たちが世代を超えてイスラエルの子孫であることを覚えるために、祭壇を築いたのである。

 しかしこれは誤解を招く行為だった。モーセは、イスラエルが一致して礼拝をするために、礼拝をする場所を一つに定めていた(申12:5)。このため、祭壇を築くというのは主への反逆行為と見なされたのである。

 他の10部族は、ルベン・ガド・マナセ族に不信感を抱いた。正義感の故であったが、彼らは武器をもって集まった。しかし思い留まり、まず代表者を送って、話し合いをして罪を改めさせようとした。他方、ルベン・ガド・マナセ族も、穏やかな心で他の10部族の話を聞き、丁寧に応答した。これによって、争いを回避できたのである。

 彼らは互いに、相手に不信感をもっても、性急に結論を決めつけず、相手を信じる方向で粘った。これは人間の品位であり、聖化の実りである。自分の品性を完成させることは、神様が人間にお与えになった使命である。誰でも不信感を抱きたくはない。しかしそのような時は、相手のせいにするのではなく、相手を信じる方向で粘る品性を祈り求めよう。

 

「きょう、私たちは、主が私たちの中におられることを知った。」(31