ヨシュア記1章1〜18節

「強くあれ。雄々しくあれ。」

 

 イスラエルのリーダーになったヨシュアに対し、神様は繰り返し「強くあれ。雄々しくあれ」と語る(6,7,9節)。

 ヨシュアはリーダーとして、強く・雄々しくあらねばならない。リーダーの弱気や不安は、民の士気に関わる。しかし神様が「強く・雄々しく」と語ったのは、戦闘の時に限ったことではない。「ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべがあなたに命じたすべての律法を守り行え」とあるように(7)、神様は神様に従うことにおいて、強く・雄々しくあれと語っておられる。

 「わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地」とある(2)。カナンの地、それは神様が「与えて」おられる土地である。神様は、私たちにも「与えて」おられるものがある。それは、私たちが住んでいる家であり、その地域である。職場も学校も出会う人々も、神様が私たちに「与えて」いるものとして数えることができる。

 しかし、神様が「与えて」いる場所だからといって、私たちはそこで上手くいくわけではない。そういう場所で、私たちは自分の力不足を痛感し、砕かれる経験をする。“自分よりも他の人の方が適任だ”と思うことや、“なぜ自分がこういう経験をさせられるのか”と思うことに直面する。しかし私たちはそこを、神様が「与えて」いる場所だと信じて、足りないながらも努力しつつ、神様に従うのである。私がいる場所は、神様が「与えて」、私を遣わしておられる場所。そう信じる時に、「強くあれ。雄々しくあれ」という神様の励ましが勇気を与えてくれる言葉として響き出すのである。

 

 

「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。」(9