ヨシュア記8章1〜35節

「悔い改めによる勝利」

 

 イスラエルの人々は、堅固な城壁をもつエリコという町と戦った。神様は奇跡によって城壁を壊し、ヨシュアは勝利をおさめた。ところが、その次のアイとの戦いには大敗した。それは人々が勝利に酔い、思い上がり、油断したからである。

 ヨシュアは初めて敗北を経験した。彼は早合点して、神様に見捨てられたと思い込んだ(7:7)。人は、神様との歯車が噛み合わなくなっていると、“人間的に思い上がること”と“神に放棄されたこと”の間を行き来してしまう。

 神様はヨシュアに、人々の中に罪が隠れていることを指摘された。カルミの子アカンが、取ってはならない宝物を盗んだのだ。ヨシュアは厳かに罪を処罰した。イスラエルの人々は神様に悔い改め、ゆるんだ手綱を締めなおして、再びアイとの戦いに臨んだ。

 アイは人口12千の小さな町だったが、ヨシュアは「戦う民全部」に相当する全兵士60万人を向かわせた。そのうち35千人を伏兵としてアイの背後に配置し、おびき出したところに背後から町に火をつける作戦を授けた。神様は勝利をくださった。

 アイに対する勝利は、神様が与えてくださった勝利である。兵力の大きさや戦略は、神様に用いられることによって結果に結びつく。実際の状況を切り拓くのは、神様ご自身による。私たちの現実を切り開き、道を造るのは神様である。私たちは思い上がりの美酒に酔わぬよう、信仰の手綱を引き締め、神様と歩調を合わせて歩めるように祈ろう。

 

 「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。」(ゼカリヤ4:6