ヨハネの福音書1章1〜18節

「新しい時の始まり」

 

 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(1) 一読すると、ヨハネの言葉の世界に引き込まれる言葉である。ここに難しい言葉や専門用語はない。それなのに、とてつもなく大きな存在を感じさせる。著者は、神の御子イエス・キリストに出会えた衝撃と感動を書き表そうとしている。

 

 著者が主イエスを“神の御子であり救い主であるお方”として認識したのは、復活によってであった。主イエスは十字架によって処刑されたが、死を打ち破り復活された。この復活によって、主イエスに「いのち」があることが明らかになった。その「いのち」は、この世のものではない「いのち」であり、死に打ち勝つ「いのち」、人間の希望(人の光)となる「いのち」であった。

 

 この福音書には、老教師ニコデモ(3)、サマリヤの女性(4)、死からよみがえらされたラザロなど(11章)、主イエスという「いのち」を受け取った人々が記されている。まさに主イエスという「いのち」は、「人の光」として人々に希望をもたらした(4)。

 

 主イエスを信じた者たちは、「神の子どもとされる特権」が与えられ(12)、神の子どもとして神に愛される日々が与えられた。今でも主イエスを信じることで「いのち」をいただき、神と共に生きる日々が与えられる。

 

 主イエスを信じる信仰は、「肉の欲求や人の意欲」で獲得したものではなく、「神によって」備えられ、「神によって」届けられる(13)。主イエスは「神とともにおられた」お方であり(2)、神を説き明かす「ことば」であったが(18)、「人となって、私たちの間に住」んでくださり(14)、私たちに出会ってくださったのである。

 

 「初めに、ことばがあった。」(1) 「初め」という言葉は、創世記1:1「初めに、神が天と地を創造した」を想起させる。著者は天地創造の「初め」を意識しつつ、神の御子イエス・キリストによる新しい時の初めを告げた。人類の歴史において新しい時の初めであり、私たちにとっても新しい時の初めである。「ことば」である主イエスが出会ってくださって、新しい時が始まっている。神と共に生きる日々が始まっていることに感謝しよう。