ヨハネ11章1〜5節

「主よ、ご覧ください」

(小林和夫師)

 

 「ある人が病気にかかっていた。」(1)「病気」という原語は力の萎え衰えた状態のことであり、恐怖で心がおびえてしまうこと、信仰の確信が持てないこと、経済的な窮乏、あらゆる弱さ・行き詰まりを表している。この「病気」は私たち自身が抱える問題であることがわかる。

 病気にかかったラザロという男は、取り立てて紹介するエピソードのない人物であった。ヨハネはこの者を「あなた(主イエス)が愛しておられる者」と語り(3)、「神の栄光のため」と記した後(4)、ついに「イエスが死人の中からよみがえらされたラザロ」と呼ぶ(12:1)。病み疲れ・祈る気力さえなかった者に、主イエスの栄光が冠せられたのである。

 ラザロの周囲には、彼を気遣い・彼のために祈る者たちがいた。姉のマルタとマリヤは、主イエスに使いを送って窮状を訴えた。今日における、教会のとりなしの祈りである。

 「主よ。ご覧ください。」(3) 苦しみの中でも自尊心は働き、悲しみの故に孤独になることがある。しかしキリスト者は、“主よ。来て、この惨状をご覧ください”と、すべてを神様の御前にさらけ出せる幸いがある。

 「あなたが愛しておられる者が病気です。」(3) この祈りの背後には、主イエスに対する信頼と平安がある。病む者は、主が愛された者。マルタとマリヤは、主の愛に依り頼んで祈っている。神様の御前に出るのに、人間的な功績・実績を寄せ集めたり、有力者の名前や顔を借りる必要はない。放蕩息子が父の懐に帰る道は、大いに開かれているのである。

 マルタとマリヤは大いに主イエスの愛に信頼していたが、主イエスはそれ以上の愛でラザロを愛しておられた。ヨハネは、姉妹の愛には誠実な友愛を示す「フィレオ−」を使ったが(3)、主イエスには神の愛を示す「アガパオー」を使っている(5)。この神の愛に堅く立ち、苦難の日に主を頼ろう。

 

「イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。」(5