ヨハネ172026 「みなが一つとなるため」

 

 23節「わたしが彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。」

 


 これは、イエス様をこれから信じる人のための祈りです(20)。私がイエス様をまったく知らない時に、イエス様は私を知り、私のために祈ってくださいました。私がイエス様を信じることができるのは、イエス様が私を見つけ、私に出会ってくださることによります。

 神様のご計画は、イエス様に対する信仰でつながる人たちが皆、「全うされて一つとなる」(23)ことです。それはまるで、ヨハネ10章に記されている羊飼い(=イエス様)に導かれる羊の群れ(=私たち)のようです。この群れは、国籍・肌の色・言語・文化・時代の異なる大集団であり、様々な意見の相違や教団教派も超えて天の御国に迎え入れられて一つとされます。私たちも、イエス様を信じる信仰によってその一員とされています。

 私たちは、「私は信じます」という自分の信仰だけでは行き詰まります。信仰の土台は、神様が自分を握っていてくれる御手に気づくことです。イエス様は、弟子たちが自分を見捨てることを知った上で、「(弟子たちを)わたしといっしょにおらせてください」(24)と祈られました。神様は、イエス様にあって「世が始まる前から」(24)私たちを握っていてくださり、その御手は今までも・これからも、共にあるのです。この事実を「ああ、そうなのか」と受け入れることが信仰の土台です。