ルカの福音書12章22〜34節

「小さな群れよ、恐れるな」

 

 主イエスは“カラスを見よ。どうやって命を保っているのか?神が養っておられるのだ”と語り(24)、“ユリを見よ。どうして育つのか。神が装ってくださるのだ”と語る(28)。それに対して私たちは、“カラスが生き延びるのは残飯があるからだ”とか“ユリが咲くのはその環境が良いからだ”と、私たちなりに理屈をわかっているつもりでいる。しかし主イエスは、あなたがたは「心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか」と問いかける(25)。究極的な意味において、いのちを保っているのは主であって、神様があなたを生かしておられるのだと語る。

 “神様が私を生かしておられる”という御心を前にした時、私たちは健康に気を使うことが無意味に感じられるかもしれない。しかし、そうではない。私たちは自分の身体を“神様から託されたもの”として、健康に気を配るべきである。しかし神様が生かしてくださっている恵みよりも、自分の健康管理を重んじて“健康の奴隷”になってはならない。神の国を求めて、神様が生かしてくださっている恵みを数えて生きるように招かれている(31)

 順境の日も逆境の日も、神様のまなざしは私たちを見つめ、神様の御手は私たちに伸ばされている。神様は私たちに「生きよ」と声をかけ(エゼキエル18:32)、私たちに“わたしは今日、あなたに生きて欲しい”と願っておられる。

 主イエスは「小さな群れよ。恐れることはない」と言われる(32)。「小さな群れ」とは人数的な小ささではなく、自分の弱さを自覚せざるを得ない小ささであろう。そんな時、人間的には“自分の倉に食料と財産が満ちている安定感”を求めたくなる(19)。弱さを自覚する歩みは忍耐を強いられる。しかしその忍耐は無駄な労苦ではない。父なる神様は私たちに「喜んで御国をお与えになる」お方である。自分たちの小ささを自覚しつつ、しかし神様は生かしてくださる恵みに頼みつつ、恐れることなく今日を生きたい。

 

「小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」32