ルカ 192835 「イエスの借り物人生」 小林和夫師

 

 31節「もし、『なぜ、ほどくのか』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」

 


 主イエスはエルサレム入城を前に、弟子を使いに出して、ろばの子を手配なさいました。持ち主は「なぜ、このろばの子をほどくのか」と言いますが(33)、弟子たちが「主がお入用なのです」と言うと(34)、ろばを差し出します。

 「なぜ、ほどくのか。」これは、自分の立場や既得権を防衛する言葉です。「どんな権利があって?」というとがめ、「こんな子ろばを?」といういぶかり、「なぜ私のを?」という不満。しかし持ち主は、「主がお入用です」との求めに応じ、自分の権利を譲歩しました。私たちはいろいろな権利がありますが、その状況が「主がお入用です」と語っているかを見極める必要があります。

 主イエスのご生涯は、借り物で彩られていました。天地万物の創造者でありながら、何も持たない嬰児として世に生まれました。母マリヤの胎を借り、ベツレヘムの馬小屋で生まれ、枕するところもなく、アリマタヤのヨセフが所有する墓に葬られました。イエスの働きは、人々が差し出す善意に支えられました。貸した人は、天に宝を蓄えました。

 私たちは、これからも「主がお入用です」との内なる声を聞くことがあるでしょう。主に用いていただくために気前よく貸すことができるなら、こんなに幸いなことはありません。宝を天に積む者でありたいと願います。