ルカの福音書19章45〜48節

「神の宮は祈りの家」


 本日の聖句は、イエス様の宮きよめとして知られています。ヨハネはこの場面を「イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中に牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し・・・」(ヨハネ2:13-15)と、生々しく描写しています。イエス様の内に燃え上がった怒りは激しく、平素、私たちが知る柔和なイエス様からは想像もできないほどです。

 預言者イザヤは、神の宮について「わたしは・・・わたしの祈りの家で彼らを楽しませる・・・わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ」(イザヤ56:4-7)と、述べています。ここで「彼ら」と呼ばれているのは、宦官や、異邦人、イスラエルの宗教文化の中では人間扱いされなかった人々のことですが、預言者は知っていました。神の家では、宦官や、異邦人も楽しむことができることを。

 しかし、イザヤより100年余り後の預言者エレミヤの言葉は辛辣です。「わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目には強盗の巣と見えたのか。そうだ。わたしにもそう見えていた。主の御告げ」(エレミヤ7:11)と、糾弾しています。イエス様は、神の宮の尊厳と恩寵を失墜させた者への怒りを禁じえませんでした。

 イエス様は、人の手で作られた神殿をも大切にされました。ご自分の血で贖いきよめたキリスト者という神の宮を疎かにはされません。「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」(Ⅰコリント6:19-20